年度の最初の日とApril Foolが同日なのは不幸だとしか言いようがない。
これも外国文化の無批判な摂取が、とかいうこともできるだろうが、それは陳腐だし、
だいいち今日書きたいのはそのようなことではない。
とりあえず
「新年度の目標」とかを書いたところで嘘扱いされるのが目に見えてるのが嫌だ。
とことわった上で結局書くんだけどね(ツンデレではないよ)
今結構疲れてるんだけど、原因はほぼ嫉妬だと思います。じぇらしー。
だれだれに彼女がいて羨ましいとかそういう性質のものではなくて、
他人の関係というか世界が羨ましくてしょうがない。
コンプレックス化してもいると思うんだけど、コンプレックスという言葉自体日本語での用法が混乱しているのであえて回避する。
あるいは知れば知るほど雲の上の存在だと分かってどうしようもない気持ちになったり。
どうも数人に対してそういう感情を抱いてます。
明らかなこの日記の読者にもいます。もしかしたらあなたかもしれませんよw
とかいう冗談は措いておいて、
絶対mixiに入った人間のうちの一定割合は程度の差はあれこの病気になると思う。
でも僕の場合はとりわけひどい。
きっと誰に対しても理性的であろうとした結果だと思う。
まぁ要するにわがままが言えない。
そういう無駄な気負いは破綻するってわかっているはずなんだけど。
ばっかじゃないの、と思ったあなた、大正解です・・・。
そういうわけで、しばらくの間、いろんな人に素直になれなくても許してください。
まぁでもここを読んでるような人が僕に会うことも減っていくんだろうけどね・・・。
とりあえず新年度の目標のひとつ目を「嫉妬をしない」にしようと思う。
こういう純粋感情に目標がありうるのかはともかくとして、
なるべく「他人を羨ましいと思わないよう(内面的・外部状況的に)努力する」
ということで。
寛容になれと校長に言われた気がするが、寛容になりえない人間もいるんだ。原理的に。
とかいうともっと自己嫌悪がひどくなるので、この話題はこれくらいにしよう。
二つ目。
3月31日の朝日新聞夕刊より引用。
外交や国際政治に携わる人に求められる資質とは、何だろうか。
以前知り合った東京在勤の英国外交官を思い出す。1人は大学でギリシャ・ローマの古典を学び、1人は英文学、1人は医学部卒だった。法学・経済学部出身の者が多い日本とはだいぶ違う。
実務的な知識よりも、広い教養に裏打ちされた総合的な判断力を身につけた人がふさわしいという考えなのだ。かつての大英帝国の遺産なのだろうか。英外交官の力量が国際舞台で評価されるのも、こういう素地があるからだろう。
国際政治を扱う学問も同じで、数量的手法などを採り入れて精密な理論体系を築いた米国流と違って、英国では哲学や歴史を踏まえ、コモンセンス(常識)を重んじる学風である。
そんな英国学派の代表的存在であるケンブリッジ大学のジェームズ・メイヨール教授の「世界政治」(田所昌幸訳、勁草書房)の翻訳がこのほど出た。
民主主義や進歩など、我々があたりまえのこととして受け取り、深く吟味していない言葉を再検討することで、いまの国際政治を読み解いていく。
昨年ケンブリッジで直接話を聞いたとき、人間がもつ驕りや弱さに目配りしながら国際政治を論じていく作法に目を開かれる思いがした。政治とは、結局人間を理解することなのだ。力を振り回した米国のブッシュ前政権の外交が破綻したいま、そんな英国流から学ぶことも多いのではないだろうか。
こういう研究スタイルが残ってたことが嬉しい限り。
もうとっくに政治学はアメリカの独り勝ちかと思ってたから。
文1に入っといてあれだが、法学部にそんなに魅力を感じないので、
転身可能な程度までは努力しときたい。
とりあえず留学しうる水準まで英語力を上げないとなぁ。
ということで二つ目の目標は「勉強する」。
1月に"Don’t think, Feel"を掲げたのに、全然守れてないなぁ。
ってことであらためてそれも。
※DNとむこうの使い分けに困ったのですが、いろいろ考えた結果
向こうにもうちょっと素の僕を移すことにして、こっちでは長めの記事を書こうと思う。
分量的にはさらしなWeb日記くらい。あんなに面白いもんじゃないけど。
とりあえず前提の共有できない話を読まされる人の心中のことを思うと
大学(それも特定学部)の中の話をいろいろ書くのは嫌なので、
(ほんと思うんだが同じ学年だった、以上の連帯のなかった関係が実に多い。
ほんとうにがっかりだ。)
一般的な話とか近況報告とか、とにかくうちの学年の人なら
だれでも前提を共有するものを書こうと思います。
これも外国文化の無批判な摂取が、とかいうこともできるだろうが、それは陳腐だし、
だいいち今日書きたいのはそのようなことではない。
とりあえず
「新年度の目標」とかを書いたところで嘘扱いされるのが目に見えてるのが嫌だ。
とことわった上で結局書くんだけどね(ツンデレではないよ)
今結構疲れてるんだけど、原因はほぼ嫉妬だと思います。じぇらしー。
だれだれに彼女がいて羨ましいとかそういう性質のものではなくて、
他人の関係というか世界が羨ましくてしょうがない。
コンプレックス化してもいると思うんだけど、コンプレックスという言葉自体日本語での用法が混乱しているのであえて回避する。
あるいは知れば知るほど雲の上の存在だと分かってどうしようもない気持ちになったり。
どうも数人に対してそういう感情を抱いてます。
明らかなこの日記の読者にもいます。もしかしたらあなたかもしれませんよw
とかいう冗談は措いておいて、
絶対mixiに入った人間のうちの一定割合は程度の差はあれこの病気になると思う。
でも僕の場合はとりわけひどい。
きっと誰に対しても理性的であろうとした結果だと思う。
まぁ要するにわがままが言えない。
そういう無駄な気負いは破綻するってわかっているはずなんだけど。
ばっかじゃないの、と思ったあなた、大正解です・・・。
そういうわけで、しばらくの間、いろんな人に素直になれなくても許してください。
まぁでもここを読んでるような人が僕に会うことも減っていくんだろうけどね・・・。
とりあえず新年度の目標のひとつ目を「嫉妬をしない」にしようと思う。
こういう純粋感情に目標がありうるのかはともかくとして、
なるべく「他人を羨ましいと思わないよう(内面的・外部状況的に)努力する」
ということで。
寛容になれと校長に言われた気がするが、寛容になりえない人間もいるんだ。原理的に。
とかいうともっと自己嫌悪がひどくなるので、この話題はこれくらいにしよう。
二つ目。
3月31日の朝日新聞夕刊より引用。
外交や国際政治に携わる人に求められる資質とは、何だろうか。
以前知り合った東京在勤の英国外交官を思い出す。1人は大学でギリシャ・ローマの古典を学び、1人は英文学、1人は医学部卒だった。法学・経済学部出身の者が多い日本とはだいぶ違う。
実務的な知識よりも、広い教養に裏打ちされた総合的な判断力を身につけた人がふさわしいという考えなのだ。かつての大英帝国の遺産なのだろうか。英外交官の力量が国際舞台で評価されるのも、こういう素地があるからだろう。
国際政治を扱う学問も同じで、数量的手法などを採り入れて精密な理論体系を築いた米国流と違って、英国では哲学や歴史を踏まえ、コモンセンス(常識)を重んじる学風である。
そんな英国学派の代表的存在であるケンブリッジ大学のジェームズ・メイヨール教授の「世界政治」(田所昌幸訳、勁草書房)の翻訳がこのほど出た。
民主主義や進歩など、我々があたりまえのこととして受け取り、深く吟味していない言葉を再検討することで、いまの国際政治を読み解いていく。
昨年ケンブリッジで直接話を聞いたとき、人間がもつ驕りや弱さに目配りしながら国際政治を論じていく作法に目を開かれる思いがした。政治とは、結局人間を理解することなのだ。力を振り回した米国のブッシュ前政権の外交が破綻したいま、そんな英国流から学ぶことも多いのではないだろうか。
こういう研究スタイルが残ってたことが嬉しい限り。
もうとっくに政治学はアメリカの独り勝ちかと思ってたから。
文1に入っといてあれだが、法学部にそんなに魅力を感じないので、
転身可能な程度までは努力しときたい。
とりあえず留学しうる水準まで英語力を上げないとなぁ。
ということで二つ目の目標は「勉強する」。
1月に"Don’t think, Feel"を掲げたのに、全然守れてないなぁ。
ってことであらためてそれも。
※DNとむこうの使い分けに困ったのですが、いろいろ考えた結果
向こうにもうちょっと素の僕を移すことにして、こっちでは長めの記事を書こうと思う。
分量的にはさらしなWeb日記くらい。あんなに面白いもんじゃないけど。
とりあえず前提の共有できない話を読まされる人の心中のことを思うと
大学(それも特定学部)の中の話をいろいろ書くのは嫌なので、
(ほんと思うんだが同じ学年だった、以上の連帯のなかった関係が実に多い。
ほんとうにがっかりだ。)
一般的な話とか近況報告とか、とにかくうちの学年の人なら
だれでも前提を共有するものを書こうと思います。
コメント
むしろ俺は「普通の幸せ」がほしいw
かっこよすぎる笑
まぁ、だいたいの人は自分の世界に満足してないから、そんな特別な目で見られてもなぁ、というところだとは思う。
すでにこの日記自体の中で、こんな世界が狭いのに、文体で自己を擬装しなきゃいけないあたりに嫌気がさしてたりもするw
たぶん気にしすぎなだけだな、うん。
めちゃくちゃ同感するー。